「What's IN 09年7月号」インタビュー
Perfume あ〜ちゃんの歌唱法に対する自我意識の大きな変化@What's IN 09年7月号 - Aerodynamik - 航空力学
危ないなあ、と思う。
例えばSOFT BALLETの遠藤、ACCESSの貴水、TMNの宇都宮。コンセプト重視のユニットであるほど歌い手の自我は積もり、それが溢れ出したときにグループは終わりのときを迎えた(みな、キーボーディストがユニットの意思を司っていたのも共通する)。
彼らはそれぞれのグループ解散後”歌”を志向した活動を行ったものの、いずれも母体を超えるような成功を収めてはいない。それは、そのユニットを支持していた人達が、必ずしも歌い手の”歌”そのものを支持していたわけではなかったからだ。
ただ、あ〜ちゃんは、以前から「Perfumeに対して何を求められているか」をすごく考えている人である。自分が自分の意思で歌うことが、必ずしもファンから求められているわけではないということをよく知っているはずだ。その上で、Perfumeであることより自分の意思を優先した。
あるいは彼女は、今のPerfumeは(Perfumeのファンは)ある程度の変化も受けとめられるほどの強さを持ったと判断しているのかもしれない。
早くアルバムを聞いて、この答えを確かめたい。Perfumeが、あ〜ちゃんの歌をも飲み込みなおPerfumeとして成立しているのかを。*1
しかし、武道館の後からPerfumeには、「終わり」を前提とした儚さを強く感じる。のっちの一件も今回のあ〜ちゃんの意志も、地続きのもののように感じてならない。この夏のライブツアーになるべく足を運ぼうと考えたのも、”その次のツアー”が果たしてあるのか、確信が持てないからだ。